マヤ文化をめぐる二つの祭典
2012年12月にマヤの長期暦が終わる(一周期を終える)ことで、「世界滅亡」などと騒がれたことは記憶に新しい。これは、観光産業を経済発展の軸に据えるユカタン州にとっては一大イベントであり、ユカタンが世界から注目を浴びる上での格好の機会であった。
翌2013年10月には、マヤ文化をテーマにした二つの文化祭典が同時に開催された。一つは「国際マヤ文化の祭典(Festival Internacional de la Cultura Maya)」で、もう一方は「独立マヤ文化の祭典(Festival independiente de Maya)」である。前者は2013年が第二回目となり、10月17日から11月3日まで開催された。後者は2013年が第一回目で10月12日から26日までの日程である。なぜマヤ文化をめぐる祭典が同時期に開催されたのだろうか、そこにはマヤ文化の表象をめぐってメキシコ政府、ユカタン州政府のやり方に不満を感じるマヤ先住民の抵抗があったからである。
ユカタン半島のマヤ先住民を自認する人々の間では、政府に虐げられてきたという被害者意識が歴史的に形成されてきたが、2012年という機会は政府と先住民の間にある緊張関係がこれまでにも増して可視化されることとなった。以下では、二つの祭典が同時開催されるに至った背景を説明することで、「マヤ」の表象をめぐる様々な主体のせめぎあいについて簡単に整理したい。
国際マヤ文化の祭典
2012年12月に開催されたのが、第一回国際マヤ文化の祭典である。本祭典は2012年12月21日にマヤの長期暦が約5125年の一周期を終えて新周期を迎えることに因み、マヤ文化を世界に発信するべく開催された祭典である。12月14日から22日までの祭典期間に、国内外の研究・教育機関、市民団体から研究者、芸術家、ノーベル平和賞受賞者など計1400人以上が発表者として招待され、博物館、劇場、公園、マヤ遺跡等で90以上の展示、講演、儀礼が行われた。
メキシコ合衆国大統領ペニャ・ニエトを招いて行われた本祭典は、ユカタン州観光産業の重要な起爆剤として期待されていた。その背景には、20世紀後半にこれまでのエネケン(船の結束具生産に用いられてきたサイザル麻)産業の衰退に合わせてその文化を資源にしたした観光産業へと政治経済がシフトしていった事情がある。1991年には、メキシコを含めた中米の5か国によって、観光開発において国境を超えた連携を行うためのムンド・マヤ機構が設立されており、これはユカタン州観光産業の発展を大きく後押しした。そんな中巡ってきたマヤ長期暦の一周期終了は州経済の発展のみならずメキシコという国家にとっても重要なイベントだったのである。
州政府は2012年に照準を合わせて、「チチェン・イツァ基本計画」を2010年に発表している。これは、州のこれからの発展の軸を、その文化を商品化した観光、すなわち「文化観光(Turismo Cultural)」に据えていくことを明確にしたものである。その中で、マヤ世界大博物館、マヤ文明宮殿の建設やチチェン・イツァ空港の整備などが盛り込まれた。実際に祭典の主会場として位置付けられたのが、開幕日の12月14日に開館したばかりのマヤ世界大博物館であった。
同時に多くのイベントがいくつもの会場で実施されたが、私も可能な限り多くのイベントに参加するように努めた。例えば、ルイス・マガニャ博士によるマヤ算術に関する講演、マヤ祈祷師によるセイバの木植樹の儀礼、マヤ遺跡ツィビルチャルトゥンのツアー、ユカタン料理の展示、天体観測、マヤ語による演劇、舞踊、写真展、本の紹介、「マヤ人は語る」と題された講演会などであった。
第二回目となる2013年は、10月開催となった。世界中から発表者として研究者や芸術家、政治家などが招待され、メリダ市を中心とする多くの会場で同時進行で行われた。決してすべての発表がマヤ文化と関連しているわけではなく、海外からのオペラ歌手によるリサイタルをはじめ、グアナファト州で毎年開催されているセルバンティーノ国際芸術祭のプログラムが組み込まれるなど、マヤ文化の祭典というよりは、むしろ単なる文化祭典といった趣を強く帯びていた。ただ、メリダ市民やそこを訪れる国内外からの観光客にとっては、マヤ的であるかどうかは大きな関心事ではなく、無料で有名歌手の演奏や海外の研究者の講演を聴講できる機会は貴重なものであった。
独立マヤ文化の祭典
2013年の6月末に、Facebookや一部のマヤ先住民活動家のウェブページにおいて「政府によるものではなく、自分たちの手で『独立マヤ文化の祭典』を開催しよう」という呼びかけが拡散された。呼びかけの元になったのはマヤ先住民であり、マヤ語の作家、教師でもあるビセンテ・カンチェ・モーである。これについて政府の主導してきた「国際マヤ文化の祭典」や、その他のマヤ文化関連事業に不満を持ってきたマヤ先住民であることを自認する人々が好意的な反応を示し、Facebook上ではグループが作られた。そこでは活発な意見交換が行われた。7月初旬には祭典の実行について計画する、第一回目の会合がメリダ市の中心部に位置するカフェを貸し切って実施された
会合の参加者はマヤ先住民であることを自認する人々が大半で、およそ40人くらいであった。他には研究者であったり、先住民運動を支援したいと考えている非マヤ先住民である。マヤ世界大博物館の職員も出席していた。会合で次第に主導権を持つようになってきたのは、マヤ先住民の詩人や作家である。彼らはこれまでから政府が主導してマヤ先住民文化を語るということに強い不満をもっており、政府が行う祭典に対抗する形で独立した文化祭典の実行を主張をした。最終的にマヤ世界博物館から来た職員は、政府の息がかかっているという理由から退席せざるを得なくなり、この過激なやり方に不満を抱いた人々も退席した。
「部外者はお断り」という雰囲気が形成され、途中から「この会合もすべてマヤ語で話すべきだ」という話ものぼるようになる。マヤ先住民ではない私も居心地の悪さを感じたが、それは、政府が創造してきたマヤ像に対する怒りや憤りがこれまで多く堆積していたことの表れなのだろう。
本会合は7月中に複数回開催された後、国際マヤ文化の祭典が始まる同月の10月に開催されることが決定した。急きょ祭典のウェブページや、母体となる市民団体が結成され、クラウドファンディングのサイトでも出資を募ったのである。第一回の会合から祭典の開催まで3か月という短期間の中で計画が遂行された。それほどまでに、政府主催の国際マヤ文化の祭典が独立マヤ文化の祭典を組織した人々にとって耐えがたい存在だったのであろう。
すでに以前の記事でも触れた通り、本祭典はユカタン州の州都メリダではなく、オシュクツカブと呼ばれる地方都市で開会式が開催された。さらに多くのイベントがメリダから離れた村落で実施あされた。マヤ語でcha'anil Kaaj と名付けられた祭典は、「村の祭り」という意味で、農村部に住むマヤ先住民の一人でも多くの人と祭りを共有するべきだという意思がそこにはある。
演劇、歌や楽器演奏などの発表、学術研究成果の発表、パネル・ディスカッションなど多くのイベントが同時に複数の場所で開催された。
一見、マヤ先住民の声を反映しているかのようにも見える「独立マヤ文化の祭典」であるが、批判や疑問の声を集めているのも事実である。その一つは、政府に対抗するということには意味がないという意見である。確かに政府が行うマヤ文化の祭典は「見世物」という側面があり必ずしもマヤ先住民を自認する人々から納得のいく文化の語りが行われているわけではない、しかしながらそれに対抗心を燃やすことは有意義ではなく、政府と、先住民同士が手を取り合っていくのがよいのではないか(あるマヤ語の教師による談話)。もう一つはエリート主義的なマヤ像を過度に押し出しすぎているという批判。これは、独立マヤ文化の祭典自体がマヤ村落のための祭りと言っておきながら、実はマヤ先住民の中でも作家や芸術家、教師、研究者などエリート層のためだけの自己満足に陥っていないかという疑問である。マヤ人のすべてが芸術家や研究者ではないし、むしろ大半は特に芸術や学術活動に関わることのない農民なのである。エリートのマヤ先住民が果たして充分にマヤ先住民村落を代表しているといえるのだろうか、という点に対する疑問がある。さらには、一部のマヤ人作家は、「真のマヤ語」を復興させようとているという点をマヤ先住民活動家のB氏は語ってくれた。 「真のマヤ語」というのは、現代ユカタン・マヤ語にはスペイン語からの借用語が多く入り込んでいることに対して、スペイン語の一切用いられることのない純粋なマヤ語があるという考え方である。この立場は不純なマヤ語をマヤ語と認めないとしているが、実際に人々が話をして、実際に使っているのはスペイン語の混じったマヤ語である。これをマヤ文化復興の条件であると主張することは過激すぎるのではないか、という意見も聞こえている。
国際マヤ文化の祭典、独立マヤ文化の祭典、両者ともに2014年も開催される予定である。2013年度に開催された内容を見渡すと、国際マヤ文化の祭典は、マヤ文化とは関係のない、単なる国際文化祭典の側面を帯びているが、マヤの文化と歴史が政府の視点から再構成され語られる大きな装置である。二つの祭典がが今後どのような形でそれぞれの問題点を解消し、歩み寄ろうとするのかを見守っていく意義はあるだろう。このせめぎあいは、文化を語るということは誰のためであり、どのように行うべきなのかについて私達に熟考を迫っている。
翌2013年10月には、マヤ文化をテーマにした二つの文化祭典が同時に開催された。一つは「国際マヤ文化の祭典(Festival Internacional de la Cultura Maya)」で、もう一方は「独立マヤ文化の祭典(Festival independiente de Maya)」である。前者は2013年が第二回目となり、10月17日から11月3日まで開催された。後者は2013年が第一回目で10月12日から26日までの日程である。なぜマヤ文化をめぐる祭典が同時期に開催されたのだろうか、そこにはマヤ文化の表象をめぐってメキシコ政府、ユカタン州政府のやり方に不満を感じるマヤ先住民の抵抗があったからである。
ユカタン半島のマヤ先住民を自認する人々の間では、政府に虐げられてきたという被害者意識が歴史的に形成されてきたが、2012年という機会は政府と先住民の間にある緊張関係がこれまでにも増して可視化されることとなった。以下では、二つの祭典が同時開催されるに至った背景を説明することで、「マヤ」の表象をめぐる様々な主体のせめぎあいについて簡単に整理したい。
国際マヤ文化の祭典
2012年12月に開催されたのが、第一回国際マヤ文化の祭典である。本祭典は2012年12月21日にマヤの長期暦が約5125年の一周期を終えて新周期を迎えることに因み、マヤ文化を世界に発信するべく開催された祭典である。12月14日から22日までの祭典期間に、国内外の研究・教育機関、市民団体から研究者、芸術家、ノーベル平和賞受賞者など計1400人以上が発表者として招待され、博物館、劇場、公園、マヤ遺跡等で90以上の展示、講演、儀礼が行われた。
メキシコ合衆国大統領ペニャ・ニエトを招いて行われた本祭典は、ユカタン州観光産業の重要な起爆剤として期待されていた。その背景には、20世紀後半にこれまでのエネケン(船の結束具生産に用いられてきたサイザル麻)産業の衰退に合わせてその文化を資源にしたした観光産業へと政治経済がシフトしていった事情がある。1991年には、メキシコを含めた中米の5か国によって、観光開発において国境を超えた連携を行うためのムンド・マヤ機構が設立されており、これはユカタン州観光産業の発展を大きく後押しした。そんな中巡ってきたマヤ長期暦の一周期終了は州経済の発展のみならずメキシコという国家にとっても重要なイベントだったのである。
州政府は2012年に照準を合わせて、「チチェン・イツァ基本計画」を2010年に発表している。これは、州のこれからの発展の軸を、その文化を商品化した観光、すなわち「文化観光(Turismo Cultural)」に据えていくことを明確にしたものである。その中で、マヤ世界大博物館、マヤ文明宮殿の建設やチチェン・イツァ空港の整備などが盛り込まれた。実際に祭典の主会場として位置付けられたのが、開幕日の12月14日に開館したばかりのマヤ世界大博物館であった。
同時に多くのイベントがいくつもの会場で実施されたが、私も可能な限り多くのイベントに参加するように努めた。例えば、ルイス・マガニャ博士によるマヤ算術に関する講演、マヤ祈祷師によるセイバの木植樹の儀礼、マヤ遺跡ツィビルチャルトゥンのツアー、ユカタン料理の展示、天体観測、マヤ語による演劇、舞踊、写真展、本の紹介、「マヤ人は語る」と題された講演会などであった。
第二回目となる2013年は、10月開催となった。世界中から発表者として研究者や芸術家、政治家などが招待され、メリダ市を中心とする多くの会場で同時進行で行われた。決してすべての発表がマヤ文化と関連しているわけではなく、海外からのオペラ歌手によるリサイタルをはじめ、グアナファト州で毎年開催されているセルバンティーノ国際芸術祭のプログラムが組み込まれるなど、マヤ文化の祭典というよりは、むしろ単なる文化祭典といった趣を強く帯びていた。ただ、メリダ市民やそこを訪れる国内外からの観光客にとっては、マヤ的であるかどうかは大きな関心事ではなく、無料で有名歌手の演奏や海外の研究者の講演を聴講できる機会は貴重なものであった。
独立マヤ文化の祭典
2013年の6月末に、Facebookや一部のマヤ先住民活動家のウェブページにおいて「政府によるものではなく、自分たちの手で『独立マヤ文化の祭典』を開催しよう」という呼びかけが拡散された。呼びかけの元になったのはマヤ先住民であり、マヤ語の作家、教師でもあるビセンテ・カンチェ・モーである。これについて政府の主導してきた「国際マヤ文化の祭典」や、その他のマヤ文化関連事業に不満を持ってきたマヤ先住民であることを自認する人々が好意的な反応を示し、Facebook上ではグループが作られた。そこでは活発な意見交換が行われた。7月初旬には祭典の実行について計画する、第一回目の会合がメリダ市の中心部に位置するカフェを貸し切って実施された
会合の参加者はマヤ先住民であることを自認する人々が大半で、およそ40人くらいであった。他には研究者であったり、先住民運動を支援したいと考えている非マヤ先住民である。マヤ世界大博物館の職員も出席していた。会合で次第に主導権を持つようになってきたのは、マヤ先住民の詩人や作家である。彼らはこれまでから政府が主導してマヤ先住民文化を語るということに強い不満をもっており、政府が行う祭典に対抗する形で独立した文化祭典の実行を主張をした。最終的にマヤ世界博物館から来た職員は、政府の息がかかっているという理由から退席せざるを得なくなり、この過激なやり方に不満を抱いた人々も退席した。
「部外者はお断り」という雰囲気が形成され、途中から「この会合もすべてマヤ語で話すべきだ」という話ものぼるようになる。マヤ先住民ではない私も居心地の悪さを感じたが、それは、政府が創造してきたマヤ像に対する怒りや憤りがこれまで多く堆積していたことの表れなのだろう。
本会合は7月中に複数回開催された後、国際マヤ文化の祭典が始まる同月の10月に開催されることが決定した。急きょ祭典のウェブページや、母体となる市民団体が結成され、クラウドファンディングのサイトでも出資を募ったのである。第一回の会合から祭典の開催まで3か月という短期間の中で計画が遂行された。それほどまでに、政府主催の国際マヤ文化の祭典が独立マヤ文化の祭典を組織した人々にとって耐えがたい存在だったのであろう。
すでに以前の記事でも触れた通り、本祭典はユカタン州の州都メリダではなく、オシュクツカブと呼ばれる地方都市で開会式が開催された。さらに多くのイベントがメリダから離れた村落で実施あされた。マヤ語でcha'anil Kaaj と名付けられた祭典は、「村の祭り」という意味で、農村部に住むマヤ先住民の一人でも多くの人と祭りを共有するべきだという意思がそこにはある。
演劇、歌や楽器演奏などの発表、学術研究成果の発表、パネル・ディスカッションなど多くのイベントが同時に複数の場所で開催された。
一見、マヤ先住民の声を反映しているかのようにも見える「独立マヤ文化の祭典」であるが、批判や疑問の声を集めているのも事実である。その一つは、政府に対抗するということには意味がないという意見である。確かに政府が行うマヤ文化の祭典は「見世物」という側面があり必ずしもマヤ先住民を自認する人々から納得のいく文化の語りが行われているわけではない、しかしながらそれに対抗心を燃やすことは有意義ではなく、政府と、先住民同士が手を取り合っていくのがよいのではないか(あるマヤ語の教師による談話)。もう一つはエリート主義的なマヤ像を過度に押し出しすぎているという批判。これは、独立マヤ文化の祭典自体がマヤ村落のための祭りと言っておきながら、実はマヤ先住民の中でも作家や芸術家、教師、研究者などエリート層のためだけの自己満足に陥っていないかという疑問である。マヤ人のすべてが芸術家や研究者ではないし、むしろ大半は特に芸術や学術活動に関わることのない農民なのである。エリートのマヤ先住民が果たして充分にマヤ先住民村落を代表しているといえるのだろうか、という点に対する疑問がある。さらには、一部のマヤ人作家は、「真のマヤ語」を復興させようとているという点をマヤ先住民活動家のB氏は語ってくれた。 「真のマヤ語」というのは、現代ユカタン・マヤ語にはスペイン語からの借用語が多く入り込んでいることに対して、スペイン語の一切用いられることのない純粋なマヤ語があるという考え方である。この立場は不純なマヤ語をマヤ語と認めないとしているが、実際に人々が話をして、実際に使っているのはスペイン語の混じったマヤ語である。これをマヤ文化復興の条件であると主張することは過激すぎるのではないか、という意見も聞こえている。
国際マヤ文化の祭典、独立マヤ文化の祭典、両者ともに2014年も開催される予定である。2013年度に開催された内容を見渡すと、国際マヤ文化の祭典は、マヤ文化とは関係のない、単なる国際文化祭典の側面を帯びているが、マヤの文化と歴史が政府の視点から再構成され語られる大きな装置である。二つの祭典がが今後どのような形でそれぞれの問題点を解消し、歩み寄ろうとするのかを見守っていく意義はあるだろう。このせめぎあいは、文化を語るということは誰のためであり、どのように行うべきなのかについて私達に熟考を迫っている。


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